Kouki Aiba  13. 力加減と個性についてのある見解: December 21, 2020

CONTEXT:

自分らしさみたいなものにそれとなく自覚がある人は多いと思う。それは生活にしっかり影響している。
「朝はパン派」とか「本好き」とか「休日はアウトドア」とか。
そういったものを知らないうちに押し付けられたり不自然に獲得してしまうこともあって気をつけないといけないなと最近思うようになった。いや今回はそんな話をしたいわけではなくて、アイデンティティというより作風について。

作風といって思いつくのは「影響を受けたカルチャーは?」とか「好きなアーティストは?」とか「幼少期の印象的なエピソード」などなど。そういう話を聞いて「ああこの絵はそれでこういうテイストなのね」とか変に納得したりする。

そもそも、このしりとりみたいなやりとり(当webサイト)の仕組みもそういうことへの興味を反映している。(突然なにかつくるのではなくて、ひとつ前の投稿に呼応する。そのうえで、どういった文脈で成果物が出来上がっているのかわかったらおもしろいから説明してみてもいいよねというような)

でもこれも大雑把な解釈であって、作るものに影響を与えているのはもっと些細なことのほうが要素として大きいかもしれない。そのひとつは、生活におけるちょっとした力加減とかじゃないかと最近は思っている。

生活の力加減はあまり意識されないが、力加減には最弱がある。ボタンなら押せるぎりぎり、これ以上小さい力では押せない力加減。大抵は最弱よりも強い力を使うけれど慣れたものは小さい力で扱っている。例えばスマートフォンを操作する指の力加減とか、かなり省エネな気がする。しかしこれも人によって違うんだろう。

シャッターを切るときにボタンを半分押してピントをあわせる。重要な機能の割に微妙な操作を必要とする機構にびっくりした覚えがある。人の指はやはりかなり繊細に動かせるが、この半押しも難しい人もいるかもしれない(ハルクとか超サイヤ人みたいな)。書道の筆を運ぶ力加減も繊細で、書もそれでかなり変わる。(悟空の書はどんな感じだろう)

繊細な力加減が必要なものの話で、機械のアームで卵を持つのはとてもむずかしいと聞いたことがある。いつもと違う卵を買ったら殻がとても薄くて持って潰したことがある。
たまに物を持てる最弱を試してみる。「ドアを閉める時、後手で最弱の力加減で閉めると数歩歩いたくらいで静かにカチャリとドアが閉まる」みたいなことである。

最弱を基本として、プラスどのくらいの力で物を持っているのか。それはその人らしさ・作風を形作る大きな要素かもしれない。(つまりそれはあとから変えることができる)

 

Masaaki Kuroiwa  12. 観光写真: November 26, 2020

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CONTEXT:

祝日・紅葉・GoToトラベルキャンペーンの三拍子が揃った京都には大勢の人がいて、皆がみなカメラを首から下げていた。これほど多くの人々がカメラを持っている(スマートフォンよりは良い写真を残したいと思っている)ことに驚く。人の波に押し流されながら、特定の撮影スポットでシャッターを切る様子は、『ポケモンスナップ(任天堂64)』を想起させた。

そのカメラ、〇〇ですね!私も☓☓のレンズで京都を撮りたいと思っているんですよ。
知らない人から声をかけられた。大仰な望遠レンズを紅葉に向ける人、着物でポートレートを撮る人、結婚式の撮影隊、修学旅行生、そして私を含め、それぞれが京都のポテンシャルに期待している。

ところがいざ撮ろうと思うと、いくつかの葛藤が生じる。ここに記すのは、観光における撮影でいつも感じていること。

●撮影者は互いに、他人が写り込まないタイミング・構図を探っている。すぐ横に大勢いる中で撮った無人の情景とは一体何なのか。

●特有性の高いモチーフや体験の価値はそのまま写真の価値にはなり得ない。例えば目前の美しい庭園に惹かれてシャッターを切った際、それは「美しい写真」でなく「“美しい庭園”の写真」になってはいないか。

●同じ位置で同じ写真を撮るために並ぶなんてどうかしている。画像検索で大量にヒットするその写真を、なぜまた撮る必要があるのか。

●観光の記念であることを忘れてはいけない。旅情から切り離されたまなざしで撮っていないか。

 

01. 四条大橋 / 02-03.京セラ美術館 / 04-05. 延暦寺周辺 / 06-07. 高台寺 / 08.永観堂 / 09. 水路閣 / 10. 京阪電車 / 11-12. 京都市内地下道 / 13. ビジネスホテル / 14. 鴨川 / 15-18.京都河原町駅から八坂神社 / 19-21. 河井寛次郎記念館 / 22. 延暦寺周辺 / 23. 三千院 / 24-25. 奥比叡ドライブウェイ周辺 / 26-27. 行きの新幹線

Kouki Aiba  11. イメージのスクロール(街)あるいは、創作に関する態度について: November 17, 2020

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CONTEXT:

その1 「クラシックを演奏する」「古典落語を演じる」「レシピを元に料理する」→考えてみればそれは、個性や技術を抽出するようなところがある。「説明書を読んで立てたはずのイケアの棚がちょっと曲がっている」というのはちょっと違う話。

その2 他に抽出されるのは例えば態度とかだろうか。ジュリアン・オピーが自分の絵について「対象を単純化しているとかではなくて、対象に必要な要素を取り出している」みたいなことを言っていて共感した。それも態度みたいなことだろう。

その3 googlemapのストリートビューがおもしろい、全然知らない場所に住む人たちの生活に近づけて。世界のいろんな建物をスクショして、できるだけ誠実な態度で絵にしてみた。絵は絵でおもしろいけどストリートビューにあったおもしろさはどこかへ行ってしまった。

その4 住んでいる近所の建物が気づくと更地になっていたりしたとき、そこにあった建物が思い出せないことがよくある。なんとなく思い出せないとかじゃなくて全然思い出せないときがあって怖い。ちゃんと覚えている人もいるだろうし、その人にはこの横に長い絵も違って見えるんだろう。


JULIAN OPIE  [Tunnel 5.]  2017

https://www.julianopie.com/music

Masaaki Kuroiwa  10. 霧のシューシ: November 01, 2020

CONTEXT:

作品を再現するためのガイドは、それ自体も美しいと思う。

建築物や家具の図面は緻密だし、料理のレシピはとても簡潔。
中でも楽譜は、音を記号(あのようなオタマジャクシ!)で記録するのだから感心してしまう。演奏する人によって解釈が変わるから100%再現できないし、作曲者の意図をどれくらい汲み取るかジャンルによって違うのも面白い。

今回、初めて記譜に挑戦してみたけれど、誰かへ手がかりを残すような行為がとても気に入った。

 

(楽曲について)
最近読んだ本の中でアルメニアは貧しくも美しい国だと記されていた。同時期にニュースでナゴルノ・カラバフ紛争のことが流れていて、気になってYoutubeで調べてみると、2年前のナゴルノ・カラバフを歩く映像が見つかった。
深い霧に覆われた街と戦痕を見て、なんとも言えず心にこみ上げるものがあり、それを音楽にしようと決めた。

ピアノを弾きながら楽曲を作り、楽譜にして、それを見ながら弾いてみる。
「譜面通りに」と思うほどミスタッチばかり、気づけば譜面を見ずに弾いていて…
弾く度に違う曲。

Kouki Aiba  9. 孤独(パズルを作って解く): October 19, 2020

CONTEXT:

孤独というものをしっかりと感じたことがないので、孤独になれそうなことを考えた。
本来一人ではしないことを一人でしたら孤独になれそうなので、ピクロスを作って自分で解いた。

やってみると絵を考えてそれをパズルにして解くまでものすごく時間がかかる。
孤独になるために始めたことだけど、むしろ孤独を感じたらこういうことをしていたら気が紛れるんじゃないかと思う。

絵を数字に置き換えるということ。(暗号とか画像とか)
解くことが描くことになるということ。(描くという行為について)
だれでも同じ絵が描ける〔解ける〕こと。
などなど、絵のつくりかたとしてもおもしろかった。大きなサイズで再挑戦したい。

 


ピクロス_wikipedia


Cross Stitch World

ANDY  WARHOL [DANCE DIAGRAM] 1981