Masaaki Kuroiwa ポップな衝突: January 17, 2021

  • acrylic painting, canvas, 409 × 318 mm

CONTEXT:

3Dグラフィックが驚異的に進化している昨今、現実の世界をシュミレーションしたPC/TVゲームが数多く作られている。「オープンワールド」と呼ばれるジャンルでは、プレイヤーが広大な仮想空間を自由に動き回ることができ、その世界に配されたNPC(ノンプレイヤーキャラクター)の振る舞いはまるでそこに生活があるかのようだ。
リアリティという点において重要なのは、グラッフィック的な実在感(光、水、肌の表現など)の他に、その世界にプレイヤーがどれだけ複雑に関与できるか、またその関与に対してどれだけ正しい反応があるかということだと思う。しかし、これら2軸の表現力には大きな差があって、最先端のグラフィックを用いた実写のような世界にあっても、「拾えるもの/拾えないもの」「壊せるもの/壊せないもの」「行ける場所/行けない場所」などは未だにゲーム的な“お決まり”に制限されている。物と物の干渉にしても、「物理演算」や「当たり判定」といった処理が完璧になされることはなく、現実で想定される挙動とは程遠い。

けれど、そうした「できる/できない」の機械的な線引きが、時に知的でユーモラスな結果をもたらしてくれる。例えば人間の「手」について。手で物を掴むとき、現実であれば5本の指の曖昧な動きによって、物に触れた状態になる。しかしゲーム空間の人間が、物の形に合わせて5本の指を動かすのは結構大変なこと。できなくはないのだろうけど、実際は不自然じゃない程度に簡単な動きになる。たった一つのモーションでどんなものでも掴めたりする。(物と指が触れていない!)
PC/TVゲームの空間はあらゆる場面にこうした不合理が見て取れる。一見するとバカバカしいのだが、視点を変えれば、うまく抽象化された世界とも言えるかもしれない。仮想空間を構築する際の取捨選択という点で興味深いし、他の表現にも活用できないだろうか。