失われた環: August 10, 2020

CONTEXT:

Missing-link (失われた環)

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生態系や進化論の話では実感が沸かないので、一旦、個人の成長や記憶の堆積といったミクロな視点において考えてみる。そこにも“失われた環”らしい欠落があるのではないか。

例えば、私が“今”に至る理由を遡って観測してみると、純粋な連続性を感知していた(つまりA→Bへの変化を五感によって捉えていた)と確信できるのは、せいぜい3秒前の事象までで、それ以降(前)を見渡すと、もっと意味付け/言語化された“シーン”の数々が断片的に蓄積している印象がある。

過去や未来を想起することは、文脈を持ってそれらの“シーン”を掻き集め、切り貼りし、並び替える作業に他ならない。
しかしその際、どうやっても連続性を形成できない状況下に置かれた経験はないだろうか。

我々は、事象を時間/空間/数字などの“連続的な概念”に基づき(あるいは囚われ)、管理/保存している。だから連続性を欠いた状況は「超自然的」だと判別してしまう。それに対し、欠落を補うような修正を加える(嘘を付く)か、あるいは忘れただけだと納得するか_最悪の場合、どう処理したか無自覚ということもあり得る。
こうした領域はまさに個人が内包する『Missing-link(失われた環)』だと言える。

もし“世界”に対して何らかの潜在的な神秘を期待し、観測から零れ落ちた領域を詮索しようというのなら、どうしようもないほどグロテスクな“見落とし”の発見を覚悟しなければいけない。