Masaaki Kuroiwa  8. 自然の中の孤独: October 05, 2020

  • acrylic painting, canvas, 409 × 318 mm

CONTEXT:

家から駅までの道、スーパーへの道はいつも同じ道だから、そこにある花や草木は自然と気になってくる。

普段はそれらから親密な印象を受けるけれど、自分の調子が悪いとき、植物は真逆の顔を見せる。とても無愛想で、どこか拒絶されているような気さえする。(風が強い場合は特にひどい)

映画『緑の光線』で、野原をひとり散歩する女性が、唐突に泣き出すシーンがある。直前のカットでは風が轟々と吹き、草木が乱暴に揺れる様子が描かれている。

監督はインタビューの中で、この場面を「自然の中の孤独」だと言っている。
こういった孤独感は誰しも感じ得るのだろうか。

Kouki Aiba  7. flower vase: September 28, 2020

CONTEXT:

何回かこの投稿のやりとりをしてみて返答の仕方も色々あるし、返答それ自体にもらしさが出ることがわかった。
ひとつ前のやりとりはなんかテレフォン人生相談みたいになってしまって恥ずかしい。

自分のことだと見失ってしまうけど、私はみんながユニークに生きればいいと常々思っているのだった。
人のどうしようもない部分とか、くだらなさとか、業(ごう)とかが肯定されて生きられれば良くて
少くともそういうものが否定されるのは最低だと考えている。

今回は新しく作ったものではなく、先月一ヶ月くらい制作して展示していたものを提示しようと思う。
以下展示ステートメント

『最近部屋に花を飾るようになって、本当にいろいろな種類の花があって楽しい。

それぞれの花の良さがあってそれについて花瓶を選ぶように、みんながありのままに咲ける関係性や社会であってほしいし、
少なくとも自分を否定する必要はない。ということを考えながらつくりました。
簡単に言えば桜梅桃李です。
たまに見て、前向きな気持ちになってもらえれば嬉しいです。

普段はデスクトップで絵を設計して大体そのまま印刷などされますが、
仕上がりを逆算せずに、不確定な要素も含みました。
PC上で作図した絵を切り抜き、エアブラシでステンシルして図形を描きました。
縁がぼやけたりしているのはそのためです。あまりに汚れたら修正したりしています。
普段のデザインの仕事とは違う、自分の想像していなかった色やニュアンスが現れていくのが楽しい制作でした。 2020.8』

Masaaki Kuroiwa  6. 何も写っていない / 光がある: September 21, 2020

  • A

  • B

  • C

  • D

CONTEXT:

直近の2週間で1000枚以上の写真を撮った。その中から4点(A-D)の写真を提示する。

●A→主題がない
●B→繊細すぎる
●C→ピンボケ
●D→ありきたり

共通して、何も写っていない写真たち。いわゆるスナップショットで、個々にみたときには作品としての行き場がない。かといって、すぐに消してしまえるほど無意味な写真だとは思えなかった。膨大な写真の整理をしていると、こうした宙ぶらりんな写真がいくつかでてくる。
心に引っかかるものが何なのか。注意深く選び取り、並べることで意味を救い出そうと考えた。

A-Dからはシャッターを切る初期衝動のようなものを感じている。
初めてカメラを手にしたような無邪気さと、光景を記録できることに対する期待。そういったものが詰まっている。
構図や色味がバチッと決まっている写真よりも、生々しい光の蠢きがまだそこに残っているようで惹かれるのかもしれない。

(写真表現をどう捉えているか)
私が美術的な意識をもって写真を撮るようになったのは、仕事・プライベート含め、ここ5年のことだ。それまでは写真を見ることも、撮ることもそこまでの関心がなかった。あまりに整理された写真を見ると「これなら絵の方が面白い」とか「CGで良いじゃないか」と思ってしまうこともあった。なので「良い写真とは何か」「どこから作品として捉えるか」という基準については曖昧な部分が多い。それでは何を頼りに写真を考えているかというと、おそらく、これまで観てきた映像(主に映画)なのだと思う。

Kouki Aiba  5. 白旗 (Drawings in a day): September 10, 2020

CONTEXT:

昔から絵がヘタで、なんなら避けていたところがある。
だからといって例えばデザイン的な構成や文字が得意かと言われればそんなことはないし、
なんなら絵の上手さは確かにデザインの良さに影響しているという実感があるほどだ。
(「絵が上手」とか「デザインが良い」というのは個人的な感想として)

なので自分の凡庸さ・つまらなさをずっと抱えてなにかを作っている。
正直それに向き合うのはつらいけど、
くだらない絵を公開することによって白旗を振り、覚悟をして生きようと思う。

自分の矮小さを引き出すために決めたのは以下の通り

●その場で思いついたものを名刺サイズに描く
●画材はあまり馴染みないもの(今回はエアブラシ、パステル、クレヨン)
●途中でやめない。なにかを参照もしない。
●描いたものは選定しないですべてボードに置く。

完成を見てみるとやはり小狡い部分がある。小手先に頼って少しでも良く見せようとしていて覚悟が足りない。
しかしくだらない絵なのは間違いなく、降参して受け入れるほかないとあらためて思う。

Masaaki Kuroiwa  4. Kとお月さま (カーテンのある風景): August 29, 2020

  • acrylic painting, canvas, 530 × 455 mm

CONTEXT:

実家のソファの座面を開くと、そこには分厚い西洋美術の画集が数十冊のシリーズで敷き詰められている。

幼い頃、休みの日にはそれを広げて延々と眺めていた。美術史の名だたる面子が揃う様は圧巻で、「これが家宝よ」という母の冗談にも説得力があった。

当時なんとなく好きだった“お絵描き”に、“美術”の意識が芽生えた原因は、その“家宝”によるところが大きい。一冊ごとに一人が特集されていて、子供ながらに「色々な描き方があるんだな」とか「この画家が好きだ」というのがあった。
また同時に、これだけの絵が描けなければ“絵描き”としては生きていけないのだと思うようになった。

20年を経て、みんながみんなゴッホやピカソを目指すわけではないとわかったが、それでも“絵画”に対しては未だに畏怖の念がある。そこへの憧れが出発点だったはずなのに、私が作るものは一度だって、思い描いている“絵画”に接近できたことがないから。

キャンバスに魅力的な絵を描けなければ(絵心がなければ)他のどんな表現でも本当に美しいものはつくれない—

デザインの仕事をするとき、写真を撮るとき、イラストを描くとき、いつもこのことが思い起こされる。